vol.85
辻徹 Toru Tsuji
刻 Toki
2015.10.17-11.1
静かで叙情的な心象風景の様な辻徹氏の写真世界。
それは観る人それぞれの内側に響き、語りかげてくるようです。
眼の前に繰り広げられる自然界のさまざまな営みや、移ろい続ける瞬間瞬間の気配そのものを捉え続ける繊細な感性と一貫した世界観。
八事・雲雀ケ丘の時代よりギャラリーフィールアートゼロの案内状の写真は、大半が辻徹氏によるものでした。
わたしたちの歴史は辻徹氏に支えられ、ある点ではともに築きあげたといっても過言ではないと思います。
この度、閲廊10 周年を記念して、辻徹氏の写真集「刻toki」の出版と写真展を開催できることを心から嬉しく思います。
今年70 歳を迎える素晴らしき写真家の仕事の一片をひとりでも多くの皆さまにご覧いただければ幸いです。
正木なお
10 年の感謝を込めてー
辻徹の写真は一片の詩だ。言葉にならない空気を含んだ刻(トキ)のフォルムだ。その仕事に惹かれ、触れ続けて20年近く歳月が経った。
辻徹は人物を撮らない。撮るのは風景や静物、道端の花や小石、そういう類のものだ。ある時、美しい色彩の並べ立てられた写真をみつけ、これは何かと聞くと、「あ、あそこのね」と教えてくれたのは、仕事場から歩いて直ぐの場所に、忘れられたように停む朽ちた土塀だった。被写体は、コンクリートの隙聞から遣い出すように顔をだす草だったり、遠い時間の中、波に洗われる砂浜だったりする。それはまるで時間の止まった美しい一枚の絵画のようにも見え、一片の詩のように静かな繊細さが鋭利な感性を隠し持つように凪いでいた。彼はコマーシャル的表現を意識的にも無意識的にも遠ざけ、自らの心の網膜に映るものだけを頼りに、極めて日本的感性と描写で、森羅万象を撮り続けるアーテイストである。刻(トキ)は辻徹写真の根源的なテーマそのものだ。移ろいゆく時…それはどんなに頑強なものさえ、たとえ大自然であっても、この世界にカタチをもち息づく万物共通の姿だ。その曽みの一つ一つに向き合い続け、捉え続けてきた写真は数しれない。己自身の美学と終わることのない問の答えを被写体に見出すようにレンズを覗き、現実世界の営みの時間を心のネガに焼き付け、フィルムに投影する。そ
れこそが、辻徹の写真世界に通ずる、胸の奥底や脳裏の裏側に浮かびあがる光と闇の残像の世界、儚くも美しい生命の時間の刻みなのである。
(写真集『刻Toki」あとがきより)
辻徹Toru Tsuji
1945 年、東京生まれ。幼稚園の卒園を待たず各地を放浪。30 業種を超えるアルバイトを経る。
日大芸術学部に7 年在籍後中退。流通、交通関係PR誌の編集に参加、撮影にたずさわる。仕事を超えた、コマーシャルリズムにとらわれない自分なりの表現を求めてゆくなか、森羅万象のはかなさに辿り着き、以後そのはかなさを自分の価値基準として写真を撮り続ける。
gallery feel art zero (現Gallery NAO MASAKI)にて
<企画展>
2008 「オマージュ」
2015「something new, with feel art 10」